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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)7043号 判決 1985年4月17日

原告

株式会社赤羽ビルディング

右代表者

赤羽高秀

右訴訟代理人

江口保夫

草川健

鈴木諭

被告

斉藤政子

右訴訟代理人

梓澤和幸

末吉宜子

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明渡し、かつ、昭和五六年五月三日から昭和五八年三月六日まで一か月一一万六〇〇〇円の、同月七日から右明渡し済みまで一か月一二万三〇〇〇円の各割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、被告の負担とする。

四  この判決は、原告が二〇〇万円の担保を供するときは、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明渡し、かつ、昭和五六年五月三日から右明渡し済みまで一か月一五万円の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨の答弁

請求棄却

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有している。

2  被告は、昭和五一年四月以来本件建物を占有している。

3  本件建物の昭和五六年五月以降の賃料相当額は一か月一五万円である。

4  よつて、原告は、被告に対し、所有権に基づき本件建物の明渡しを求めるとともに、不法占有による損害賠償請求として昭和五六年五月三日から右明渡し済みまで一か月一五万円の割合による賃料相当損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1、2の事実は認め、同3の事実は否認する。

三  抗弁

1  原告は、昭和四八年八月三一日訴外中川祥旦に対し本件建物を賃貸した(以下この契約を「本件賃貸借契約」という。)

2  訴外中川は、昭和五一年四月二日、被告に対し、保証金五〇万円、毎月一五万円の支払いを受ける約で、本件建物での経営を委託した。被告の本件建物に対する占有は、右契約に基づくもので、訴外中川からそこでの経営を委託されたに過ぎず、転貸借によるものではないから、原告の承諾がなくても、適法なものというべきである。

3  仮に、右2のようにいえないとすると、訴外中川と被告との間には、訴外中川が同日被告に対し本件建物を一か月一五万円で転貸する旨の契約が成立したものであり、被告は右契約に基づいて本件建物の引渡しを受け、それを占有していることになる。そして、被告の右占有は、次に述べる理由により、適法なものというべきである。

(一) 原告は、訴外中川に対し、本件建物の賃借権の譲渡又は賃借物の転貸を包括的に承諾していた。

(二) 原告は、昭和五二、五三年頃から昭和五六年六月の本件訴訟提起まで、被告が本件建物を転借していることを知りながら、異議を述べず、あるいは、転借で高い賃料を支払うよりも原告と直接契約をした方がよいなどとの発言をしていることからすると、原告は、被告の転借を承諾しているものというべきである。

(三) 被告の転借については、次のとおり、原告に対する背信行為と認めるに足りない特段の事情がある。

(1) 原告は、被告に対し、再三にわたり、本件建物を直接に貸したいなどと述べ、賃借人である訴外中川を排除することにつき協力を求めていた。

(2) 被告が原告への協力の意味で、昭和五六年四月頃原告に対し、訴外中川と被告との間の本件建物に関する契約書(甲第三号証)を見せると、原告は、その場でコピーを取り、それを一つの資料として、同年五月二日訴外中川に対し、本件建物を訴外中川が被告に無断転貸したことを理由に、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をするとともに、同年六月訴外中川及び被告を相手方に、本件訴訟を提起した。

(3) 原告は、被告に対し、一応被告も相手方に訴訟をしなければならないが、解決後は、被告と直接契約するつもりであるから安心してよい、と述べている。その後、本件訴訟の進行途中、被告からの問合せに対し、原告は、被告には弁護士をつけなくてよい。とまで助言している。

(4) しかし、本件訴訟が更に進行すると、原告は被告に対し、本件建物の明渡しと一か月一五万円の賃料相当損害金の支払いを主張して譲らない。

(5) ところで、本件賃貸借契約においては、賃借権の譲渡又は賃借物の転貸についての民法六一二条の原則を緩和するものとされていた。また、原告は、本件建物の周辺で、本件建物に類似の建物を多数賃貸しているが、それらのうち、過去において、賃借権の譲渡又は賃借物の転貸を原告が承諾した例が相当にある。しかも、本件建物を被告が転借することによつて、原告に、何らの被害も不都合も生ずるわけではない。したがつて、原告が被告の転借につき承諾を拒む合理的な理由はない。

(6) 一方、被告は、昭和五一年に本件建物に対し六五〇万円の内装工事をしたほか、訴外中川に保証金の名目で権利金を支払つており、営業は、現在になつてようやく軌道にのりつつあるのに、今本件建物を明渡すこととなれば、住居及び収入の途を失う。

4  原告は、昭和五六年二月被告に対し、本件賃貸借契約が終了することを停止条件として、本件建物を、賃料は右3の転貸借契約より安く周辺の賃料にあわせること、との約で賃貸する旨の契約を結んだ。したがつて、仮に、本件賃貸借契約が、原告が昭和五六年五月二日訴外中川に対してした解除の意思表示によつて終了していれば、右の停止条件は成就したから、被告は原告に対し本件建物につき賃借権を有することになる。

5  本件の事情を綜合すると、原告の被告に対する本訴請求は、信義則違反又は権利の濫用であつて許されない。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は認め、同2の事実は否認する。

2  同3の冒頭部分の事実中、訴外中川が昭和五一年四月二日被告に対し、本件建物を一か月一五万円で転貸する旨の契約を結び、被告が本件建物の引渡しを受け、これを占有していることは認める。

同(一)の事実は否認する。

同(二)の事実は否認する。原告は、訴外中川が被告に無断転貸したとの疑いを持ち、それをつきとめようと考えてはいたが、被告は、長い間転借を否定し、自分は、単に雇われているだけだ、との説明をしていた。

同(三)の(1)の事実は否認する。同(2)の事実中、被告が原告に対し、被告主張の頃、被告主張のごとき契約書を見せたこと、原告が、それを資料として、訴外中川に対し、被告主張の日に、被告主張のごとき解除の意思表示をしたことは認めるが、その余は否認する。同(3)ないし(5)の事実は否認する。原告は、過去において、本件建物の周辺で、賃借権の譲渡を認めたことはあるが、それらは、事前に承諾を求められて承諾料の支払いを受けることを条件にしたものや、無断譲渡をしたため、明渡し訴訟を提起し、承諾料の支払を受けることを条件に裁判上の和解をしたものであつて、無断譲渡、転貸を、条件なしに承諾した例などない。

3  同4の事実中、原告が被告主張のような解除の意思表示をしたことは認めるが、その余は否認する。

4  同5は争う。被告は、無断転借の事実を長期にわたり否認し続けていたもので、被告こそ信義則違反である。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1、2及び抗弁1の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二〈証拠〉によれば、昭和五一年四月二日頃、訴外中川と被告との間で、訴外中川が被告に対し本件建物において被告が自己の計算でスナック営業を行うことを認め、この対価として、被告が訴外中川に対し保証金五〇万円を支払うとともに毎月一五万円を末日限り支払う旨の契約が締結され、訴外中川が被告に対し本件建物を全面的に引き渡したこと、右契約後、被告は直ちに本件建物の一階部分を約六五〇万円の費用で改装して営業を始めるとともに、二階部分に居住するようになつたこと、被告の営業はその責任で独立して行われ、訴外中川はその営業に関し指示等をしたことのないのはもちろん何らのくちばしも入れたことはなく、ただ、毎月一五万円の支払いが遅滞したときにこの催促等をしたことがあること、以上の事実が認められ、前掲の証拠により認められる、右認定の契約の際取り交わされた契約書の表題が「経営委託契約書」となつている事実や〈証拠〉により認められる、本件建物における営業の許可が昭和五七年四月三〇日までは訴外中川の妻あてにされている事実も、右認定に反するものではなく、他に右認定を左右するだけの証拠はない。

右認定事実によると、昭和五一年四月二日頃訴外中川と被告との間に結ばれた契約は、本件建物を賃料一か月一五万円の約で転貸する旨の契約であり、被告が抗弁2で主張するような経営委託契約であるとはいえないし、また、他に、右経営委託契約の成立を認めるに足る証拠はない。

そうすると、抗弁2は採用できず、被告の本件建物の占有は、右に述べた転貸借契約によるものということができる。

以下三及び四において、被告の右占有を原告に対し対抗し得るか否かについて検討する。

三被告は、原告が訴外中川に対し賃借権の譲渡又は賃借物の転貸を包括的に承諾した旨主張する(抗弁3の(一))ので判断する。

〈証拠〉を合せ考えると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(一)  本件建物の付近一帯は、中野センター地区と称され、A、B、C、Dの四地区から成り、以前から、飲食店を中心とする多数の店舗がその建物賃借人らによつて開かれていた。

(二)  昭和二八年頃当時、A、Cの両地区にある建物(A地区約二〇戸建、C地区約八戸建)は、訴外赤羽太平次(原告の前代表者で現代表者の父親)の所有に属しており、訴外太平次は、その建物を賃貸し、賃借人らがそれを店舗として営業を行つていた。

(三)  当時の建物はバラック建であつたところ、建物を新たに建て直す気運が生じ、昭和三一年頃にC地区で、昭和三三年頃にA地区で、旧建物を取りこわし、建物が新築された。

右の建物の新築に際し、訴外太平次、賃借人ら及び訴外中野センター協同組合(中野センター地区の建物賃借人らが設立した組合)との間で、(1)訴外太平次は旧建物を取りこわして建物を新築したうえ、その建物所有者を訴外太平次が当時代表者をしていた原告とし、原告が新建物(原告使用部分を除く。)を一括して訴外組合に賃貸するものとすること、(2)訴外組合は新建物の賃借部分の建築に要する費用全額を負担し、この負担した金員は右賃貸借の権利金(名目上は保証金)に充てるものとすること、(3)訴外組合は、組合員でもある旧建物の賃借人らに対し、旧建物の使用状況に応じて新建物を区分してこれを転貸し、転借人らは新建物の建築費用中転借部分に相当する分を訴外組合に対し支払うものとすること、などといつた合意が成立した。訴外組合は、建築費用につき、転借人らから回収及び金融機関から借入れによつて、訴外太平次に対しこれを支払つた。

そこで、新築直後は、建物の賃貸人は原告、賃借人は訴外組合で、店舗営業者は訴外組合からの転借人となつた。

(四)  昭和四一年頃、A地区において、賃料の増額等にからんで紛争が生じて訴訟となり、その訴訟で昭和四八年三月二三日原告、同地区の店舗営業者ら及び訴外組合との間で裁判上の和解が成立したが、その和解条項によれば、昭和四六年一二月九日に訴外組合が店舗営業者らに建物賃借権を譲渡したことを確認し、原告がこれを承諾するものとされ、これにより店舗営業者らは、建物の転借人から賃借人となつた。

C地区においては、建物新築後二年程を経て、店舗営業者らが建物の転借人から賃借人となつた。

(五)  なお、右(四)の裁判上の和解の条項の中に、建物賃借人らが「賃借権を第三者に譲渡もしくは賃借建物を転貸しようとする場合には、……双方誠意をもつて協議するものとし、協議が整わない場合は、民法の定めるところにより処理するものとする。」との条項がある。

(六)  訴外中川の母訴外中川キミは、昭和二六年頃から、C地区の建物を賃借をして飲食店を経営し、建物新築後も、同地区で営業を継続していたところ、昭和四二年一二月一六日訴外キミの賃借建物部分から出火し、訴外キミは同火災で死亡した。

右火災の責任等に関し、昭和四五年原告が訴外キミの相続人を相手方として訴訟を提起し、その訴訟で昭和四八年七月二三日裁判上の和解が成立した。その和解では、訴外キミの子である訴外中川が原告に対し焼失した建物の建築費用相当分を支払うこと、原告は、建物を建築し、その建物を訴外中川に対し賃貸することが定められ、実際には、訴外中川がその負担する費用で建築を進め、同年八月三一日までに建築を了してそれを原告の所有とした。これが、本件建物であり、右同日結ばれたものが、本件賃貸借契約である(右契約の成立については、当事者間に争いがない)。

本件賃貸借契約は、右の裁判上の和解に基づくものであるが、その和解条項の中に、賃借権の譲渡又は賃借建物の転貸に関して格別の定めは置かれていない。

(七)  A、C地区において、原告が店舗営業者(建物賃借人であるが、一時期転借人であつた。以下、この(七)では建物賃借人という。)による賃借権の譲渡を認めた例はかなりあるが、それらは、(1)事前に、建物賃借人が譲渡につき承諾料を支払つて原告の承諾を得たものか、(2)建物賃借人が原告の事前承諾を得ることなく譲渡したため、原告から無断譲渡を理由に建物の明渡し訴訟を提起され、原告に対し承諾料の支払うことを条件として裁判上の和解が成立したものか、であつて、無断譲渡を原告が黙認した例は見当たらない。

以上の認定事実によると、A、C地区において、訴外組合が建物賃借人であつた当時、訴外組合が建物を従来からの店舗営業者に貸与することは、転貸ではあるが、当然許容されていたものということができるが、店舗営業者が、建物転借人であつたときも、また建物転借人から賃借人となつた後も、賃貸人たる原告の承諾を得ることなく、その賃借権を譲渡しあるいは賃借建物を転貸することは、右(五)に述べた和解条項(A地区についてのものであるが、C地区についても同様のことがいえると解する。)からも推察できるように、禁止されていたものと解するのが相当である。(このことは、右(七)に述べたところによつても裏付けられる。)。もつとも、右(五)の和解条項は、賃借権の譲渡又は賃借物の転貸を、全く許さないとして、頭から否定するというものではなく、賃借権の譲渡等につき賃借人から協議の申出があつた場合には、賃貸人は、誠意をもつて協議に応ずべき義務(ちなみに、この義務が存在する以上、賃貸人が賃借人からの協議の申出に対し、協議に応ずることを拒否したり形ばかりの協議をしたに過ぎなかつたり、また、全く合理性を欠く理由で賃借権の譲渡等を拒んだりした場合には、賃貸人の承諾がなくても、賃借権の譲渡等が許されることもあるものと解すべきである。)を課しているものと認められるが、これは、前記認定事実に見られるように、建物賃借人がその使用する建物の建築費用を実質的に負担していること(その額が負担時において相当に高い負担であつたことは容易に推察し得る。)によるものということができる。

右に述べたところからすれば、C地区内に所在する本件建物について、賃借人である訴外中川から賃借権の譲渡又は賃借物の転貸をしたいので協議して貰いたい旨の申出があつた場合には、賃貸人である原告がこれに応じて誠意をもつてその協議に応ずべき義務があると解することができるにしても、それを越えて、原告と訴外中川との間に賃借権の譲渡又は賃借物の転貸につき原告の承諾を要しないとする旨の合意があつたものと解することは困難であるし、また、他に、原告が訴外中川に対し賃借権の譲渡又は賃借物の転貸を包括的に承諾したことを認めるに足る証拠はない。

したがつて、抗弁3の(一)は採用できない。

四被告は、原告が被告の転借を事後に承諾したものと解すべきであり、また、被告の転借について、背信行為と認めるに足りない特段の事情がある旨主張する(抗弁3の(二)及び(三))ので判断する。

〈証拠〉を合せ考えると、次の事実を認定することができる。

(一)  本件賃貸借契約において、訴外中川は原告に対し本件建物を飲食店以外に使用しないことを約していたが訴外中川自身も、その妻も、他に都合があつて飲食店営業を行い得なかつた。そこで、訴外中川は、弁護士に相談し、飲食店の経営を委託することとすれば、自らが直接営業に手を下さずにすむし、しかも原告の承諾も要しないものと考えるに至つた。

(二)  しかし、訴外中川が被告との間で、昭和五一年四月二日頃に結んだ契約は、名目は経営委託契約とはいえ、経営を委託する契約とはとてもいえず、本件建物の転貸借契約であり、訴外中川は、そのことを知つていたため、右契約の内容等を原告に知られないようにし、被告に対しても、他人に聞かれたときは、訴外中川に雇われていると述べるよう求めていた。

(三)  ところで、被告もまた右契約が本件建物の賃貸借契約であつて、単なる経営の委託でないことは充分に分かつており、右契約の当初一年間位は本件建物の所有者が訴外中川であると信じていたものの、その後、顧客の話などから、本件建物が原告の所有に属することを知るようになつたが、それを知つた以後も原告に対しては何の連絡もしなかつた。

(四)  一方、原告の側では、本件建物で被告が営業をしていることから、訴外中川が賃借権の譲渡又は賃借物の転貸をしているのではないかとの疑問を持ち、昭和五三年頃から、原告代表者又はその兄(訴外赤羽房之助)が、本件建物に客として訪れ、被告にそれとなく確かめたり、営業の許可名義を調べたり、訴外中野センター協同組合の役員に問い合せたりなどしていた。しかし、被告の答えは、自分は「雇われママ」で、訴外中川から雇われているというものであつて、営業許可の名宛人は訴外中川の妻となつており、また、訴外組合の役員の返事も分からないというものであつた。そのため、原告としては、疑問を残しつつも、そのまま放置せざるを得なかつた。

(五)  昭和五六年になつて、被告は、訴外中川に対する賃料の支払いを遅り、訴外中川から明渡しを求められたので、顧客の一人にこのことを話した上で対策について相談したところ、その顧客は、原告代表者の兄である訴外房之助に対し、この件につき訴外中川を抑えるようにして貰えないかといつた話をした。そこで、訴外房之助が被告に事情を聞くと、被告は、これまで隠くしていた、本件建物を訴外中川から一か月一五万円の家賃を支払つて借りているという事実を述べた上、その家賃を滞納し立ち退きを求められていると説明し、これに対し、訴外房之助は、原告の事務所に相談にくるように勧めた。なお、その際訴外房之助が、原告と直接に賃貸借契約を結べばもつと安い家賃である旨述べた。

(六)  その後、中野駅で、原告代表者と被告とが偶々会い、原告代表者が被告に対し原告の事務所に相談に来るよう示唆したこともあつて、昭和五六年四月に、被告は、訴外中川と被告との間の本件建物に関する契約書(甲第三号証)を持参して原告の事務所を訪れた。被告は、原告代表者に右契約書を見せる(この事実は当事者間に争いがない。)とともに事情を説明し、原告代表者は、被告の了解を得て右契約書のコピーをとつた上、今後の対応について弁護士に相談する旨述べた。

(七)  原告は、被告の述べるところと右契約書を有力な資料として、昭和五六年五月二日訴外中川に対し無断転貸を理由に本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をするとともに(原告が右解除の意思表示をしたことについては当事者間に争いがない。)、同年六月訴外中川及び被告を相手方に、本件訴訟を提起した(本件訴訟の提起については記録上明らかである。)。

(八)  原告代表者は、被告に対し、本件訴訟解決後は直接の契約を考慮する旨述べ、また、被告が本件訴訟の追行に当たり弁護士を選任すべきかと問い合せたのに対し、自分の弁護士に相談したところ、選任しなくてもよいのではないか、とのことであつたと答えた。

(九)  なお、被告は右(六)で述べた、原告方に相談に行つた際、その行動は、訴外中川を裏切る大胆なものであると認識しており、それが原告のためにもなるものであるから、原告が以後被告にある程度有利な取り扱いをしてくれるはずであると考えていた。しかし、本件訴訟の経過等から、被告は、原告に対する自己の考えに疑問を持ち、昭和五七年一〇月自己の訴訟代理人として弁護士を選任し(この点は記録上明らかである。)本件訴訟に真剣に対応するようになつた。

以上の認定に反する〈証拠〉は、右認定に供した各証拠に照らし容易に採用できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

以上の認定事実によると、訴外中川が被告に対して本件建物を転貸したことについて、原告が昭和五三年頃から疑つてはいたが確証を得られず、昭和五六年四月になつてやつとその確証が得るに至つたものと認められ、原告は、その後すぐにその転貸借を否認し、本件訴訟を提起しているのであるから、原告が被告の転借を事後に承諾していると解することはできない。そして、他に、原告が被告の転借を承諾したと認めるに足る証拠はないから、抗弁3の(二)は採り得ない。

また、前記認定事実によると、訴外中川は、本件建物の転貸借契約について、当初からこれをことさらに秘匿し、また、被告も本件建物が原告の所有に属すること(したがつて、被告が本件建物を転借していること)を知つた後も昭和五六年までは、原告には、何らの連絡をしなかつたばかりでなく、更に、自分は単に訴外中川に雇われているだけだなどと虚偽の事実を述べているものであり、これらからすると、被告の転借について被告の側に背信性の強い事情があるものというべきである。そして、前記認定事実によると、原告の側において、原告と直接契約をすればもつと賃料が安いと述べていかにも本件建物につき原告が直接被告に賃貸するかのような示唆をし、このいわば一種の利益誘導もきつかけの一つとなつて、訴外中川から立ち退きを迫られていた被告が原告に対し本件建物の転借を、証拠資料を持参した上開示するに至つたこと、そして、本件訴訟は、被告が原告に開示した資料が基となつて提起されたものであること、原告は被告に本件訴訟を提起しておきながら、被告に対し例えば弁護士の選任を要しないかの如きこと等を述べていることなど原告にも、必ずしも適当とはいえない対応が見られるし、また、前記二で認定したように、被告は、訴外中川に対し保証金を支払うとともに本件建物の一階に相当の費用をかけて改装を施し、その二階を住居としていること、前記三で述べたように、本件賃貸借契約においては、賃借権の譲渡又は賃借物の転貸が頭から否定されておらず、賃貸人に協議応諾義務が課されていること、弁論の全趣旨により認められる、原告は、本件建物の明渡しを受けたとしても結局は他に賃貸するものと考えられることといつた諸事情があるけれど、これらの事情をもつてしても、先に述べた、被告の側の背信性の強い事情を考えると、被告の転借につき、背信行為と認めるに足りない特段の事情がありと評価することは到底許されず、他に、右事情を認めるに足る証拠はない。したがつて、抗弁3の(三)も採用できない。

五被告は、停止条件付賃貸借契約の成立とその条件成就を主張するが(抗弁4)、本件全証拠によるも、右契約の成立を認めることはできないから、この主張は採り難い。

六原告の本訴請求が権利の濫用又は信義則に反すると判断するだけの証拠はない。

七鑑定の結果によれば、本件建物を新たに賃貸する場合の賃料(いわゆる新規賃料)は、昭和五六年五月三日現在一か月一一万六〇〇〇円、昭和五八年三月七日現在一か月一二万三〇〇〇円である旨の判断がされているところ、その鑑定の経過に照らすと、右はいわゆる賃貸事例比較法に基づいて算出されているのであるが、その判断はその結論に至る過程とともに相当であると解され、また、右判断を左右するに足る証拠はない。したがつて、右各時点での本件建物の相当な新規賃料額は、右判断のとおりと認めることができる。

なお、建物の不法占有による損害金の算定の基礎となる賃料額は、継続賃料額と新規賃料額とを比較すると、後者がより適当であると解する。なぜなら、その不法占有がなければ、他に新しく賃貸することができるはずであり、その場合に得られる賃料額は新規賃料額と考えられるからである。

八以上によれば、原告が被告に対し、本件建物の所有権に基づきその明渡しを求める請求及び本件建物の不法占有による損害賠償請求のうち、昭和五六年五月三日から昭和五八年三月六日まで一か月一一万六〇〇〇円の、同月七日から右明渡し済みまで一か月一二万三〇〇〇円の各割合による賃料相当損害金の支払いを求める部分は、正当であるから、いずれもこれを認容し、右の損害賠償請求のうちその余の部分は、失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九二条、仮執行の宣言につき、同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官鈴木康之)

物件目録

東京都中野区中央四丁目一三七番地

木造亜鉛葺二階建店舗居宅 一棟

一階 四五・四五平方メートル

二階 四五・四五平方メートルの内正面向かつて左側

一階 二二・七一平方メートル

二階 二二・七一平方メートルの部分(別紙図面のとおり)

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